妖刀村正とかいう最高に怖い刀について

オカルト研究

かなり久々のサブカル&オカルト研究。

今回のテーマはゲームや漫画でもおなじみの「妖刀」で有名な村正という刀についてのお話です。

この刀の何がヤバいかと言うと、数々の逸話による「呪い」という徳川家との因果と伝説ですかね。

歴史がちょっとでも好きな人であれば聞いたことがあるかもしれません。

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画像引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/to7002/35763697.html

 

村正は美術品というには見た目もそこまで美しいわけではありません。

同年代の名刀と呼ばれる正宗は刃紋と呼ばれる刀身の美しさが目立ちますが、村正は刃紋が大きくどこか歪な表情をしている印象です。

妖刀村正の成り立ち

妖刀村正の起こりは室町時代にさかのぼりますが、伊勢国(当時の三重県)桑名に存在した刀工集団の名称が「村正」という名であり、当時から実用性に長けた刀だということは知られていたようです。

実際に表舞台で有名になるのは戦国時代に多くの有名な武将が村正を愛刀として使い始めるところからですが、桑名地方の村正は元々実践的な刀で有名だったこともあり、多くの地方に広がっていったものと思われます。

妖刀の由縁と徳川家に仇をなしたと言われるエピソード

  1. 徳川家康の祖父・松平清康が殺害された刀が村正であった
  2. 家康の父・広忠が岩松八弥に襲われたときの刀も村正であった
  3. 家康の嫡男・信康が死罪になり介錯(または切腹)に使われた刀も村正であった
  4. 家康の妻・築山御前を小藪村で野中重政が殺害して斬った刀も村正
  5. 関ヶ原の戦いの際、家康が怪我をした槍も村正
  6. 大阪の陣で真田幸村が徳川本陣急襲に成功した際、家康に投げつけた短刀も村正

よく聞くエピソードはこの辺りですかね。

確かにこれだけをピックアップして見ると「村正」=「徳川を呪った刀」だと考えられるかもしれません。

が、もっとよくよく考えてみます。

徳川家康や真田幸村などの名将が活躍する一昔前の室町時代には既に名刀として知られていたとすると

おそらく徳川家だけではなく多くの戦国時代の武将や名もなき武将たちも「村正」を持っていた可能性は充分にあるのでは?

現在で言えばスマホが刀だとすると、その中で使いやすいのはやっぱりiPhoneですかね。

そんな一般的に知られた(または使われていた)高性能な刀が「村正」だったのではないでしょうか?

徳川家の逸話を聞いて豊臣方が村正を好んで持った可能性は高い

戦国時代の背景を考えると、最初に天下布武を掲げた織田信長は宗教的な考えが少し異質です。

もちろん現代の僕たちに真相を知ることは出来ないですが、キリスト教の布教は許可をした一方で比叡山に対しては長い期間に争いを起こしています。

もちろん、武装した宗教集団が自分の覇道にどのような影響を与えるか?ということを考えたことや、比叡山側が当時の足利将軍をと繋がっていたりと色々な因果関係がある訳ですが、そんな信長は本能寺の変にて自害。

その後、関白となった豊臣秀吉~徳川家康が天下人になる訳です。

豊臣秀吉側である(西軍)と家康側の(東軍)の構図です。

とにかく混沌とした世界であることは間違いないですが、豊臣秀吉を正当とした真田幸村たちも、元々は家康とも外交的に同盟関係です。

となれば、「村正」に伝わる逸話が後に対立する武将たちに伝わっていても不思議ではありません。

特に、真田幸村に関しては家康をもって日の本一の武士であると言わしめたように、大阪の陣では急襲によって家康の命を脅かしました。

東西に別れた後の西軍にとって、徳川家康の天下盗りは稀代の謀反に映ったことでしょう。

こぞって有能な刀であった「村正」を所持していても不思議はありません。

しかし、徳川家で起きた事件やエピソードに関しては”徳川家が村正を所持していた”という事実を裏付けることにもなるので、「徳川家を呪った」というような話の流れは後世による創作である可能性が高いかと思われます。

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